にこにこ通信 30号(終末期の医療は?)

脳梗塞を発症した父が入院して、半年が経ちました。
今年81歳になる父は、糖尿病、十二指腸潰瘍、心臓病、痛風といろんな病気になり、手術や治療を繰り返してきました。
 脳梗塞の病状が少し安定はしたものの、誤嚥性肺炎を繰り返し、3か月ほど経過したころ、担当の医師から胃ろうをすすめられました。
 医師の説明によると「脳梗塞後の後遺症は特に見受けられない。糖尿病以外悪いところはない。食べたものや水がうまく飲み込めなくて、むせたりし、誤嚥性肺炎を起こしているので胃に穴をあけて、栄養を受けることができれば、良くなる可能性がある」とのことでした。
 少し認知症はあるが、意思表示が明確にできる父にとっては、胃ろうにより栄養が摂れ、元気になるかもしれないと、家族で相談し、父も納得して手術に踏み切りました。
 その後、いったん回復したものの、現在はまた、誤嚥性肺炎と発熱が続き、胃ろうからの栄養を取ることができない状態で、点滴(中心静脈栄養)のみでかろうじて命をつないでいます。
今は、起き上がることもできず寝たきり状態で、首を縦と横に動かすのが精いっぱいの様子です。
 超高齢社会で、5人に一人が高齢者という現在、自力で食べられなくなって、胃ろうを医療機関からすすめられるという例が、身近にあるという方が多いのではないでしょうか?
 胃ろうは、意思表示がきちんとできて嚥下機能が失われている人にとっては、とても有効な栄養補給法だといわれています。
 一方で、人生の終末期に、意思表示を明確に伝えるのが困難になっている患者にとって、半ば強制的に日々栄養を与えることが果たして必要なことなのかどうか、という論議があります。
 育ち盛りの頃にとても貧しく、お腹いっぱい食べられなかったという反動もあって、食べることが大好きで、気が付いたら糖尿病になってしまったという父でした。
認知症が始まって、糖尿病の自己管理が難しく、脳血管障害まで併発しました。食べたい欲求がありながらも、口から食べることもできずに横たわる父の姿を前に言葉が見つからないときがあります。父そして、私たち家族にとって過酷な日々が続いています。
 一日でも一時間でも長く生きていてほしいと願う思いと、自然な流れの中で人生の終末を迎えてほしいという思い、どう考えていいのやら答えは出ません。
 デイサービスセンターにこにこでも、認知症やさまざまな要因により嚥下困難になるという方が、今後増えてくる可能性があります。
 人権と尊厳を守りながら、終末期をむかえようとされる方々に、どんな支援ができるだろうか? 父の姿と重ねながら考えています。